バトテニTOP>>長編テキスト(1日目)>>035『克己』




生きる―――
そんな単純で当たり前だと思ってきた事が実際にはコレほどまでに辛いなんて。
そんな事を思いながら、傷ついた心でひたすら希望のない道を歩くオレを、貴方は笑いますか?
喜んで、くれますか?

貴方を信じられなくなる時が、ありました。
来てくれないんじゃないか、会えないんじゃないか、乗ってしまったんじゃないか…
いろんなことが浮かびました。
でも、オレは歩いています。この道を、歩いています。
それは貴方は絶対に貴方のままだとオレが信じているから。貴方なら止めてくれると信じているから。


―――貴方もこの道を、歩いていますか?










BATTLE 35 『克己』









点在する照明によってうっすらと外観を表していたそれを宍戸が見つけたのは、
8月8日、つまりゲーム2日目に入ってから延々と繰り返される『問い』の中での出来事だった。


「………。」
見上げ、睨みつけるその外観。
視線の先の石造りの素朴な建物―――教会はいつかの灯台のように、見られる事に臆する様子もなく、
静かに、そしてひっそりと宍戸を見つめている。
…いや、たかが建物にも感情を隠さない自分を見下しているのか。
『コンソレーションをした場所で待っています。』

灯台での滝の話を鵜呑みにするならここにはアイツとの待ち合わせの場所。

―――教会。
この島で最も気高く、そして他の何よりも踏みにじられた場所。

「長太郎。」
呼び慣れた言葉をふっと口にして、同時に感じたその懐かしさに心が痛む。
「(ほんの数日前まで気軽に呼んでた名前じゃねぇかよ…)」
元々、氷帝に道なんてなかった。『関東大会初戦敗退』。それが氷帝の結果。変わらない戦績。
アイツとのテニスはこんな事の前に既に終わっていた。
だから、全国の中止、そして穴埋めとして出された都内合同合宿に氷帝が入ると聞いて、
政府が吊るしたミエミエの飴を俺は純粋に喜んだ。
仲間達と共に自分達を負かしていった奴らともう一度戦える、その事実に。
…そして、その中で『長太郎』の名前は最も呼ぶことになる言葉のはずであったのに。
「………」
ウチの犬と遊ぶアイツ。テニスをするアイツ。無駄に豪勢な弁当を持ってくるアイツ。ピアノを弾くアイツ。
笑うアイツ。怒るアイツ。泣くアイツ。優しい目をするアイツ。
いつだって思い出さえるその顔、その名前。

しかし…俺は。

思って立ち尽くすのは危険だとドアノブに手をかける。
無駄な現実逃避に息が荒れた。
「………」
何度踏みにじられれば終わるのか。何度恨めば楽になれるのか…考える時点で激ダサだ。
きっと終わらないのだ。コレは。きっと。ずっと。
「激ダサだぜ。」
つぶやいて精神を落ち着ける。
橘に負けた時もそう。過去に起こったことは全て自分が至らない人間だったが故の慢心。
必要なのはその過ちをいつ断ち切り、どう解決していくか。
自慢だった髪達と一緒に切り落としたものはそう軽くは無かったはずだ。
「…そう。」
この島で1番の”激ダサ”は。
覚悟もないくせに生きる為だけに政府の命令を聞いて戦う人形。
そして、今の自分のようにできなかった事実に悩むことしかできない後ろ向き野郎。
結果は全てではない。


「長太郎に会うって決めたらならきちんとやらねぇと。」
―――言って、俺は誰よりも激ダサな自分に辟易している。


入り込んでまず伝わるのはこれまでとは違う、湿度の高い匂いだった。
例えるなら長期間家を開けていた時に発生するくぐもった空気感。
「…宍戸さん。」
絡みつくように置かれた机と椅子、その中で象徴的に下がる一本のロープの下。
アイツは、そこにいた。
「来ないんじゃないかと…心配してました。」
いつも以上に静かで穏やかな声が石室に反響する。
「途中…神尾の奴に会ってな。」
「神尾さんに?」
「色々あってな、落ち込んでやがったから少し話をした。橘を探す…って。あの放送の前だったけどよ。」
会ったのは昨日の夕方。見つけたのは遺品の帽子をかぶった少年。
先程流れた放送を奴がどんな気持ちで聞いたかは…知らない。
「宍戸さんはどう思いますか?」
「あん?」
「その……いや、いいです。やめましょうか。」
「……あぁ。」

『…誰かを助けられるだけの選択肢、有益になる行動。
 その全てを投げ出して長太郎を追うことに、それだけの意味はあったのだろうか。 』

『問い』がめぐる。
「長太郎。」問いかける声が乾いた。
「はい。」
「お前は…………」

『例えそれが危ないってわかってても…止める気ないっすよ。』

あの時、神尾が見せたまっすぐな瞳。
もし俺があの時奴について行けば…今何が変わっているんだろうか。
『後悔したら…多分俺が生かされて…今ここにいる意味がなくなっちまう。』
そうすれば俺はその決意に何がができたんだろうか。
『宍戸も跡部も…また会おうぜっ!』




…ジローにも。
何かができたんだろうか。




「…すまねぇ」
長い間を持って発されたのは掠れた振動音。
発した本人である筈の宍戸にさえその言葉がきちんと聞き取れるレベルで吐き出せたか分かっていなかった。
途端滲んだ視界を必死につなぎとめる。
「どうしたんですか、宍戸さん。」
「激ダサだよな、俺。」
「何をいきなり」
「俺、どうも嘘つけないからな…だから正直に言う。」
「しし」

「正直… 俺はお前を探したことを後悔してる。」

辺りを包む沈黙が強まったの右頬に感じる。
「お前と対峙してるだけで体が震えるんだ…お前が何かするんじゃないかって、ざわついてる。」
話してどうというものでもない。だが、この状況でそれ以外に何を話せばいいのかがわからない。
つい数時間前までお菓子だテニスだとたわいもない話をしていた筈の奴なのに。
今だってアイツの姿はいくらでも思い出せるのに。
「…始まった時からなんとなくわかってたんだ。
 氷帝<ウチ>の奴に会うだけなら跡部をさがしゃぁ良い、日吉もジローも樺地も同じ事考えるだろうって…
 そしてそれが1番俺にとっていい選択肢だ、って。」
「…」
「それでも俺はお前を探した。他の全てを捨てて。」

はじめの目的が長太郎だったのは、アイツを放っていられなかったから。
どんくせぇし、ノーコンだし、俺なんかの為に手に入れた正レギュラーを明け渡そうとするほどのお人好しで、
のくせこの島では真っ先に死んでしまいそうな位の平和馬鹿で鈍感で無駄に信念を持って生きている、
氷帝2年レギュラーの中で1番手のかかった奴。
でも、あの時の自分にとって一番大事なものをアイツはもっていて。
慢心から全てをいらないものとして捨ててきた自分に本当に重要なものを与えてくれた後輩。
アイツの特訓と覚悟があってこそ、自分は正レギュラーとして、今ここにいる。
―――しかし、その裏で自分を慕ってくる後輩に対して有益かつ強い人間であろうとする事で
己の行動を正当化させようとする、醜いプライドもあったのは事実だ。

「だから、放送を聞いたその時…たった一瞬でも思っちまったんだ。
 お前が居なきゃ…長太郎を探すことを決めなければジローを救えたんじゃないかって。」

身勝手な結果論だ。
長太郎を探さずジローを探しても無理だったかも知れない。
間に合って見つけたところでもはや自分の力だけではどうしようもなかったかも知れない。
長太郎を探しながらジローを探す。そんな選択肢だっていくらでもあった。
だから、長太郎を恨むなどお門違いもいいところだ。
…それでも。例え一瞬でも俺は自分にその選択肢を選ばせた長太郎の存在を憎んだ。
ジローを殺した誰かわからない存在の前に、俺は長太郎を恨んでしまった。

恨んで、しまった。

「はは…激ダサだろ?長太郎には何の罪もないのによぉ、勝手に恨んで勝手に後悔して…
 勝手に逃げようとしてるんだ。」
苦笑気味に乾いた笑いをあげた。
最低だ。こんな自分みたくもなかった。
今までの自分ならこんな奴鼻で笑うだろうし、舌を噛んで死ねるなら今すぐにでも死ぬだろう。
「…でも、こんな激ダサな俺でも死ねねぇんだ。
 こんな所、こんな理由で俺が死んだら桃城やジローが死んだ意味がなくなっちまう。」
逃げればそこに待っているのはさらなる後悔と、ほくそ笑む監督の姿。
立ち向かう為にはどうしても”対象となる存在”が必要だった。
「宍戸さん。」
「非難するならしてくれ…最低な先輩だってよ。」
茶化すようにあげた右腕に感じる鋭い痛みと震え。冷や汗が流れ落ちる感覚。上がる息。
逃げ出して、叫びをあげ、ひたすらに自分の命<セイシ>だけを懇願したくなる衝動。
ここに来て更に強まる嘆願の叫び。
だが、同時に感じていた。
長太郎は自分を断罪できるような人間ではない。最低でも、”いつもの長太郎”ならば俺を許すだろう。と。
知りながらも止まらない疑心暗鬼。そして、俺はそれを知っているからこそ、ここにいる。

『結局、逃げてるだけなんだ。』

だが、次の言葉が出たのは自分ではなかった。
「…言われなくても言いますよ、宍戸さん。貴方はオレに慰めを求めるような人じゃない。」
「………。」
「”神”は信じなくても”鬼”は信じるんですか。」
コイツらしくもない冷めた声。いや、長太郎の声を冷めて感じるのは自分がそれ以上に冷めてしまっているからだ。
「オレ、失望しました。宍戸さんは違う…って、ずっとそう信じてましたから。」
反論の声も出ない。
「宍戸さん。」
瞬間、辺りを光が包む。遅れて届く轟音。雷光。いつの間にか雨が降ってきていたらしい。
「例えどんなことがあっても自分の決意を揺るがせない。そして逃げない。
 それがオレの尊敬している宍戸さん…宍戸亮です。
 人に責任を押し付けたと言い訳して後悔するだけの今の貴方は…違う。」
雷鳴がもう一度教会を通りすぎる。
「だから、今の貴方を許す気にはならない。」
そらされた視線。
遠い目の先には自分と同じく数日前の自分達が映っているのだろうか。
「逃げないでください。宍戸さんが元に戻ってくれるなら、オレ…何だってやりますから。」
闇になれた目を再び光が焼く。しかし、今光っているのは雷光ではない。
その光源は外からの照明。そして、長太郎の手元に持たれた…
「例え、その結果に人を殺してでも。」

―――果物ナイフ。

「…正気か。」
「オレに人なんて殺せないとか思ってます?」
「あぁ。」
「でしょうね。今までのオレなら考えもしなかった。」
先程自分の目に当てられた果物ナイフの反射光が黒ずんだ壁を這う。
『だから貴方は俺に許しを求めた』。自分からそらされない瞳が言外の言葉を突き刺す。
「…もしオレがここで貴方を許して、そして宍戸さんが立ち直れるのならオレは貴方を許します。
 でも現実はそうじゃない。今の宍戸さんじゃジロー先輩同様この選択を自分の責任として引きずっていくだけ。
 それどころか、きっと―――-…。」
「…。」
「それに、ジロー先輩だってそんな事欠片も思っていませんよ。」
「だろうな。」
自分だって分かっているんだ。
こんなのは自分ではないと。『長太郎を恨む自分』に浸っても何も代わりなどしないと。
だが、どうしたらいいのかわからない。
思ってもジローは居ない。桃城や海堂、乾の野郎も。居ない。
「だから、きっとオレのするべき事は貴方を許すことでも、恨まれないようにすることでもないんです。」
ナイフの光が自分を見つめる。長太郎の瞳が、自分を見つめる。

「…オレはこれから人を殺します。」

「!?」
「止めてください、宍戸さん。貴方を包んでいる恐怖ではなく、貴方の、自分の意志で、オレを止めてください。」
すっとその横をこぼれたのは涙。
「! 長太郎、お前」
「もし貴方がそこで恐怖に狂うなら…自分の身を思うなら…
 きっとオレの知ってる”宍戸さん”は、はじめから居なかったんです。 」
コツ。コツ。距離が縮まる。
長太郎がナイフを引く気配は…ない。
「言っときますけど、本気っスからね。
 貴方が俺に嘘をつけないみたいに…俺も宍戸さんには嘘はつけませんから。」
一瞬笑みがこぼれて…それは紙のようにクシャりとつぶれた。
保たれていた最後の一枚が、音を立てて崩れ落ちる。
「それにそんな事になったら…今までずっと宍戸さんがいるから…って耐えてたオレがバカみたいじゃないですか。」
光を落とした瞳。予想とは逆へ向けられていく刃先。
「貴方に殺して欲しかったなんて、言えなくなるじゃないですか。」
思わず伸ばした手。それは恐怖からでも狂気からでもない、純粋に伸ばされたそれ。
「ちょう」






「…ごめん。宍戸さん。」
その瞬間、中空へと赤く染まった十字架が舞い上がった。






「馬鹿野郎…」
誰に当てたものでもない独り言。
「激ダサどころの問題じゃ…ねぇぞ…」
つぶやく宍戸の背中はかすかに震えていた。恐怖からではない。
「どうして気づけなかったんだ…俺は」
長太郎が教会を選んだ理由。自分を許さなかった理由。最後に流した涙の理由。
「あんなにも苦しんでたってのに…俺は」
床に広がる赤。力を失った膝。
「俺は…っ」
中空で止まったままだった手が空を切る。
確かに長太郎は俺を殺した。それも完膚なきまでに。だが、それ以上にあいつはきっと。
「死んでた、のか。」
「……・…。」
その問いに答えるものは居ない。
「くそっ!!」

教会に来る人間は皆何かを求めてくるんだろう。
神を。救いを。そして、答えを。
ならは、長太郎はここで俺と会うことで何を求めたのか。

「…最低だ。」
俺が長太郎に救いを求めたように、きっと長太郎も俺に救いを求めていたのだ。
他人に対する恐怖---極めて同質で、しかし全く違うものを。
そして、失望と崩壊の中でアイツは自分の意志で最後の選択をした。
俺に『”自分の尊敬する人間”のような生き様』を見せる為に。
「その結果がコレってか。」
引きちぎられ、血溜まりに浮かぶペンダントを引き上げる。長太郎が常に手放さなかった、十字架のお守り。
「他にも方法があったんじゃねぇのかっ!」
叫びの最後は声にならなかった。
石畳の教会を嗚咽の音だけが振動させる。
もっと早く気づいたなら。心を守る最後の理性が崩れ落ちるその前にそれを知ったなら。

―――今、血の海の真ん中で倒れる長太郎の姿を見ることはなかった筈だ。

「…コレはオレの…」
「! 長太郎っ!」
かすかに聞こえた声を見つけて駆け寄る。
辺りに広がった血で服が汚れることなど気にもとめない。
「あの時、宍戸さんが手を伸ばさなかったら…きっと、オレ、こわれて 本気で貴方をころして…」
絞られる声は窓で遮られている筈の雨音にすらかき消されそうに小さくて。
「貴方を殺したくなるオレを 殺したかった…」
「もういい」
「…だから、やっぱり、オレ 宍戸さんにあえてよか…っっ」
口の箸から血があふれる。もう、そうしゃべれる体でもないはずだ。
「やめろ、もうしゃべんな!」
「ぁ …最後… 言わ なきゃ。」
かすかに流れた涙が赤く染まった頬を駆け抜ける。


 やっと… ” 会えましたね ” …宍戸さん 


「…」
「長太郎?」
「……」
「…おい、長太郎!?」
「………」
「おい!!!起きろよ、長太郎!!」

やめろよ
俺だってお前が『尊敬する人間』と呼ぶほど
できた人間じゃねぇんだよ
ジローが慕うような、強い人間でもねぇんだよ
自分の選択を後悔するような、自分の不甲斐なさを引きずるような…
挙句長太郎に八つ当たりするような…そんな人間なんだよ
『激ダサだ』と周りを嫌って、自分はあんなヤツらとは違うと強く在りたかっただけなんだよ
みるなよ
そんな笑顔で俺を見るなよ
お前、俺がお前に何をしたのかわかってるのか?
勝手に八つ当たりして、勝手に嫌って―――勝手に手を伸ばして。

『ししどさん』

…長太郎。
お前は俺を苦しめたいのか?
それとも、嫌った俺をあざ笑っているのか?
お前の中の俺<シシドリョウ>はそんなにも強い男なのか?




―――俺は。
まだお前の中に『宍戸亮』として、生きられるのか?




「                       」

声にならない叫び。
自分の中の何かがきしむ感覚。
鎖の切れたペンダントを強く握り締めて宍戸はゆらりと立ち上がる。
「…跡部だ。」
ジローは恐らく跡部を探した。
きっと跡部なら知っている筈だ。ジローの最期を。
そして、この戦いの意味を。

「…宍戸亮は自分の決断に後悔なんてしない、んだよな。長太郎。」

生きなきゃいけない。
俺は。
アイツを殺して。
俺を殺して。
そして。







俺は、問わなくてはいけない。







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