バトテニTOP>>長編テキスト(1日目)>>031『更生』




お前が死の間際、見つめた色は何色だったのか。
お前が自分の死を認めた時、見つめた俺はどんな顔だったのか。
全てを裏切り…そして自分すらも裏切ったお前。
そして、そんなお前をも裏切って走る俺に
一体何を思うのか。

―――止まれば命の無い橋。
その中で危険を承知で止まり、命を落とした人間は何人も見てきた。
アイツも、お前も。そして恐らくは俺も。


…戻れるなら、もう一度アイツの元で笑っていたかった。











BATTLE 31 『更生』









PM22:47
”次の作戦”までの間に少しだけ訪れた平和な時間。

「………できた。」
菊丸は、その時間を使って全てが始まった海まで戻って来ていた。
座りこみ低くなった視線の先には今にも吹き消えてしてしまいそうな砂の城―――大石の墓。
簡素なそれを見ながら菊丸は静かに手を合わせる。
「ごめん…本当はもっとしっかり埋めてあげたかったんにゃけど。」
ここには掘る道具を探す余裕も、掘る為の時間も無い。
でも、眠る大石をこのままにしては置けない…そんな苦渋の選択で生まれた、城。
逃がした筈のヤドカリはまだそこで何かを探して立ち止まっていた。
「……。」
脳裏によぎる記憶。
数時間前、死ぬ直前の金田の顔が自分の決意を乱す。
彼は『赤澤を殺した』と言った。放送もまた、『ルドルフの人間が赤澤を殺した』と言った。
あの場で嘘を言う事はない。恐らく彼の話は本当だ。
そして、彼は一度は自分を拒絶し、紆余曲折ありながらも最終的に殺そうとした自分達を許した。
『どうしてあの状況で許せたのか。』詳しい事は兎も角殆ど同じ境遇であった筈なのに、
何度思いを馳せても自分には全く答えがでない。
「大石、言ったよね。『生き延びる事だけを考えるんだ。』って。
 もしあの時、オレが室町と約束しなかったら、人を殺さなかったら…きっとオレは今を生きてない。
 大石のお墓を作る事なんてできなかった…だから、それは後悔してないんだ。」

「…でも、その為にオレは『夢』を捨てるべきだったのかな?って。」

『皆でテニスがしたい。選抜合宿で仲間達と合宿がしたい』。
語った理想は飾り気の無い真実だった。
向けた信頼と笑顔は少なくとも100%の嘘では無かった。
出会いから別れまで終始彼には嘘をついていたけれども…そこだけはどうしても嘘をつこうとは思えなかった。
そして、それらが全て事実だからこそ金田の遠回しに責めるような声が心に響いた。
裏切ってしまった後悔に苦しむ彼を見ても尚裏切った自分は、彼の目にどう見えたのか。
「…わからなく、なっちった。」
うろつくだけのヤドカリにデコピンを食らわせ、力任せに跳ね飛ばす。
人を殺し、裏切り死を見つめていくそれを「生きる」と言うなら、この島は社会の縮図。
夢や希望を引換になんのひねりも無い歯車として大人になる、その為のステップ。
それは疑いようもなく目の前にあり、自分はその道を進んできた。
「オレ…どうしたらいいのかな?」
輝きを取り戻した”それ”。
捨てられ、忘れられていたもう一人の自分と、もうひとつの道。
それはつまり。


「…菊丸さん。」

振り返ると相方が立っていた。
反射的に時計を確認した菊丸は「あぁ」とそれだけ言って立ち上がる。
目下に入れた時計は23:10。すっかり指定されていた自由時間をを過ぎてしまっていた。
「こっちも準備できました…そろそろ行動開始です。行きましょうか。」
「…うん。」
『多分 、自分達はそこまで『乗りたい』と思ってはいなかったんだ』。
目の前の人間を見ながら菊丸は思う。
少なくとも、この島で罪をおかしてでも生き延びようと考えるほどの強くて重い『乗車理由』を持ってはいなかった。
にもかかわらず『しにたくないから』という単純かつ軽薄な目的でつい背伸びをして足をすすめ…
そして戻れなくなった結果として、今ここに居る。
こうして自分に辟易しながらも改善できずにここに居る。
「(…オレがもっと早く気づいたら止められたのかな…?)」
ふっと、思って空を見上げた。
自分が室町を恐れず、全てを打ち明けていれば金田は助かっただろう。
もしかすれば同盟を逃れ、罪悪感を乗り越えて2人で協力して行く道もあったかも知れない。
―――でも…でも。
「………。」
考えれば考えるほど強くなる大石<コウハイ>への離反。金田<コウセイ>への憧憬。
しかし、この道をそれて戦えるほど、今の自分には大石とその大石を信じ続ける自分を見捨てる勇気はない。

「…次はどこ?」
気分を切り替えようと菊丸は目的地を聞いた。
これ以上、こんなわかりきった結論を直視するのもアレだ。
「南の集落に突入します。」
なんとなく予想のついていた返事に「そう」とそっけなく返事をする。
『同盟を守り・守られる限り…つまり、こうして室町と一緒にいる分には自分は直接人を殺さなくて済む。』
自分を混乱させ、苦しめる同盟は、同時に自分を心身ともに守る最強の盾だった。
ここにいれば自分は人を殺すことに疑いを持つ必要がない。
「そろそろ不動峰を狙おうかと。」
内容が内容の為、声が潜められる。
「不動峰を…?」
「ええ…彼らは今回の参加メンバーの中でとりわけ団結力が高い。
 現実を実感してそろそろ個人の乗る・乗らないの意思が明確になってくる頃です。
 部ごとで集団蜂起された場合、最も危険ですから。」
ふっと、神尾や伊武、ライオン大仏―――橘の顔が浮かんで、菊丸は「あぁ…」と納得した。
確かにあそこはいつも7人で動いているイメージしか無い。
来るなら7人でくるだろう。
「そ…。」
同時に菊丸は六角同様公私共々部単位で付き合っていた事実もまた思い出したが、
それに対しての感慨は不思議と全くわかなかった。
桃城や越前のような個人的で親密な付き合いがそう多くないからかも知れない。
「…仕方ないですよ。生き残る為には人を殺してでも進まないと。」
その表情から何を察したのか。室町はサングラスを動かしながらもそう言う。
『知り合い故に乗り気にならない』とでも思われたのだろうか。
特に察する意味も感じないので特に返答は返さずにおく。
「それが運命ですから。」

『運命ですから。』
リフレインされるフレーズ。
実際、オレ達には無血でこのプログラムを変えるだけの力は無い。
オレは大石の死のうとする気持ちを止める事もできないちっぽけな人間。
室町だって、考えて、考えて、そしてこうやって苦渋の選択として乗る事を決めた人間。
どうしようもできない現実は、運命。少しでも抗う為には多少の”ルール違反”も許されるべきだ。
「だけど。」
脳裏に不器用な笑い顔が浮かぶ。
あの時。遠くなってしまった海岸で大石と一緒に誓ったものはこんなものでは無かったはずだ。
こんな…自分の為に自分の全てを捨てるようなものではなかったはずだ。
『俺は人は殺せない…英二、お前に嘘をつくことだって、俺は怖い。』
大石や…少なくとも金田に素直になれば、今も共にいられたのだろうか。
殺さずに、彼等の信頼を裏切らずに済んだのだろうか。
「…。」
頭を振り、頭を垂れる。
―――わかっているのだ。金田に言われなくても自分がどうするべきかと言うことくらい。
どうしたいと思っているかと言うことくらい。

「生き延びるためには、殺すんだよ、ね…。」
「…何を今更。」
自己暗示。
返す言葉には呆れが混じっていた。
「残念ながら俺達は姑息と言われようと使えるものを使わければ生きていけないんですから。」
「うん…。」
「もしかして、菊丸さん…乗り気じゃないんですか?さっきの、金田の」
「そんな事ないよ!!あんな事するなんてちょっと思ってなくてビックリしただけ。
 …気にしないで殺りに行こ。」
「………。」
「あ~もしかしてオレ信用されてにゃいのか~?」
「…いえ。貴方の事はこの時点では1番に信用していますよ。」
「にゃはは、それならいいけど。」

歩きながら一人唇を噛んだ。
…金田がいなければ気づかなかったのに。考えなくてもよかったのに。
大石の笑顔にこんなにも苦しめられることも、桃城の行動の意味を考えることも、同盟の今後も何もかも。
全部逃げていればそれで良かったのに。
『…もし、それが嘘じゃないんなら。貴方なりの道を進めばいいと思います。』
その一言が全てを奪ってしまった。




「手順を説明します。
南の集落に着いたら、銃声を鳴らし、誰かのものかは解りませんが先ほど見つけた武器―――
手榴弾を使って家を爆破します。…奴らをあぶりだす為に。」




*****

「……………。」
幸か不幸か。
そうして、室町の思惑通り不動峰のメンバーを探して南の集落方面へと移動してきた橘は、
爆発現場と思われる煙を見て表情を曇らせた。
「…酷いな。」
ぶすぶすと焼ける木とプラスチックの匂いで間近に居るわけでもないのに嗅覚が麻痺してまともに動かない。
わずかに降りはじめた小雨が猛威を抑えているようだが、それでも一向に消えない匂いからして
恐らく、簡単なボヤじゃないんだろう。
爆発…と言うよりはもはや小規模の火事なのかも知れない。

ふと、草の揺れる音に瞬時に視線が飛んだ。
「…誰だ。」
低く唸りを上げる。
再度草むらを揺らして出てきたのは、予想を遥かに超える鈍色の巨体。
チリチリと焼け縮まった髪の毛と煤に染まって黒い肌。裏腹に不気味な程無味と化した表情。
黒く汚れた右手に今にも落ちそうな握力で握られているのはダーツの矢。
しっかりとした本格派の作りの為、急所に当たればダメージを与えるかも知れないそれだが、
いずれにしろハズレ武器の領域をでないし、なにより今のこの人物に扱える代物とは到底思えない。
そこまで考察した後、橘はその人物が都大会の際、 跡部の隣に立っていた人物であった事を思いだした。

「あぁ…お前、氷帝の」
「…もう、立てま」

言い切る前に言葉が力を失う。
ゲームに乗るとは思えない人物―――橘の存在で緊張の糸が切れたのか。
そのままその巨大な身体は引力に引きずられるようにして倒れた。
「おい、どうし…!?」
そして、うつ伏せに倒れて見る事ができるようになった背中。
そこに刺さった幾つもの破片と、一面に広がった激しい炎症に橘は言葉を失う。
『じゅくじゅく』という擬声表現が似合いそうなそれは先の平然とした表情を疑いたくなるほど重度の火傷。
皮膚と呼べる形状と色をしていないそれに、先の爆発に巻き込まれたのだろうと結論づけるのは容易かった。
同時に爆発の威力を想像して身震いする。
「しっかりしろ、おい。」
死んだことを考慮しつつ倒れたままの人物に声をかけるが反応はない。
咄嗟に掴んだ手首と肌を揺らす呼吸の存在から彼がまだ生きているのは確認したが、
このままにしておいて助かるケガでは無いのは言うまでもないだろう。
(同時に橘はこの火傷はこの島における致命傷であることを悟っていたが、それは考えないないようにした)
そもそも、もし火事が起こっているのなら、ここもそう安全ではない。
「…兎に角、こいつを運ぶほうが重要なようだ…。」
現場で仲間を探すよりも目の前の人物と共に一旦戻った方が懸命だろう。
そう判断して背中に気をつけながらも持ち上げるが、意識を失った身体は鉛のように重い。
ただでさえ参加メンバーでも上の方であるこの巨体を一人で動かすにはいささか無理があった。
「(しかし…ただの手榴弾じゃなさそうだな)」
仕方なく、自分よりも巨大な身体を半ば引きづりながら思う。
普通、手榴弾というものは爆発の衝撃と衝撃によって吹き飛んだ周囲の破片で敵を切り裂く兵器だ。
しかしコレは『切り裂く』というよりも『焼く』といった方が正しいだろう。恐らくは…
「(武器は噂に聞く、焼夷手榴弾<ショウイテリュウダン>…という奴か)」
焼夷手榴弾はテルミット反応という酸化鉄の還元現象を利用して激しい熱を生み、辺り一面を燃やし尽くす。
実際にその規模を見たことはないが、使えば人物判別すらできない程に焼けただれるときく。
恐らくはそれだろう。
そこまで考えて橘は草木にある程度の深さのある場所を見つけ、樺地を引く手を止めた。
「しかたない…とりあえずはここで治療を」

「…この辺りの筈ですが…。」

更に聞こえた声に今度は背を伏せた。
「!?(不二…じゃないな。乗った人間か。)」
息をひそめて確認する。
来るのは足音からして単体。この状態で会う人間といったらほぼ間違いなく乗った人間だろう。
―――それも、かなりの確立で先の爆発犯。
「………。」
近づく足音。 枝と草を折る音。
時々聞こえるカチャリという金属音―――銃のリボルバーをまわす音。
地に伏せた樺地越しにその音が少しづつ近くになって行くのを集音器をしているのような精度で感じてゆく。
内心、不二兄弟のようなポジションであればいいと期待していたのだが…橘は諦め、拳を握る力を強めた。
もう少し離れるべきなのだろうが、重症の樺地を連れたこの状態ではどうしようもない。
動くにしても足音が鳴って気づかれれば元も子もない。
「(どうする?)」
樺地を置いて逃げるべきか、このまま危険だと知りつつ見逃すのを期待するか。
刻一刻と近づく時に橘の精神が選択を迫られる。
「…。」
考えていると、音の主の足が止まった。
気配を感じる方角から死角になるように隠れる…が樺地から離れはしない。
普段は気にしない自分の足音すらも気になる静寂のなか、見つかるな…離れろ…ただそれだけを思う。
パキ。草を折る音。間違いなく誰かが近くにいる。
気づかれているのか?それとも気づかれていないのか?それさえも分からない。
ただひとつ言えるのは、恐ろしいほど目前に『誰か』が居るという事。
「………。」
音がでない程度に息を吸い、呼吸を改めて整える。
最悪、橘は樺地を主が見つけた瞬間に飛びかかるつもりでいた。
相手は銃を持っている。それもその特性や殺傷能力を知った上で所持している。
…そんな人物が樺地を見つければどうなるかは予想できていたが、
ほぼ塊と化している樺地を見捨てず、更にノンリスクでこの状況を切り抜けるのは不可能だろう。
樺地に狙いがつく前に攻撃できるならそれでよし。そうでなければ…
―――背に腹は変えられない。


*****

飛び出す獅子。
それを受ける黒髪。
”仕方ない”の先にある、赤のなる方へ。
踵を返した黒と走り出す黒を、
佇む黒はただ呆然と見つめている。
「あぁ…」
思い出す記憶。
「ここでお前に会うとは思ってなかった。」
それが夢だとわかっていても、自分は叫ばずにはいられない。
「おかえり…」

*****


「………。」

おもむろに開けたバック。
乾いた喉に飲み込めもしないカンパンを口に放りこみながら橘は状況の深刻さに辟易した。
自分に配布された”武器”が攻撃による負傷を前提とした『救急セット』であった事を助かったと思ったのは
恐らく後先この時だけだろう。
早々に神尾らと合流できれば多少話は変わるのかも知れないが、
負傷と直結する武器ゆえにそれは望むべき事態ではない。
「…ウ…。」
「しばらくは動かない方がいい。響くぞ。」
「…ウス。」
樺地が目を覚ましたのを確認して一息をつき、起き上がろうとした身体を制す。
…あの直後、声の主は踵を返して姿を消した。
それが何を意味するのか。樺地が意識を取り戻した事で事態はある程度回復しているのだろうが、
姿を消した理由が分からない以上、あまりいい想像はできない。
―――油断させるためなのか。 トラップを作る為か。
『包囲が完成する前に逃げなくては。』焦る状況が橘から冷静さを奪う。
『だからこそ、今は何が何でも休憩しなくてはいけないのだ』と自分に言い聞かせて更にカンパンを口に入れた。
食べること、休めること、冷静でいることはこの戦いのカギだ。
瀕死の傷を負う樺地の未だふらつく身体に余計な無理をさせる訳にはいかない。

「…ところで。」
そうして橘はその場にいたもう一人の人物に声をかけた。
―――そう、今この場に居るのは自分と樺地だけではない。
「どうして助けた?」
「…。」
「その様子だと、単純に俺達を助けようと思ったわけじゃないんだろう?」
沈黙の中、自分を見つめる髪がふわりと揺れる。
「ただそれだけならリスクが高すぎる。」
「…。」
「どうなんだ、菊丸。」
その人物―――菊丸は何も答えない。
驚異を回避したのはひとえにコイツがいたからだ。
あの時、コイツが近づいてきていた影に向かって叫ばなければ…恐らくそのまま見つかっていただろう。
「仲間…なんだな。」
だからこそ、行動に対する結論は簡単だった。
「あそこで大声を出したのは「こっちに人がいた」って仲間から俺達を離す為、だったんだろう?
 相手は銃を持ってた。仲間じゃなきゃとっくに殺られてる。」
「…。」

「俺達の信用を得るのが目的か?だとしたら」
「だとしたなら…殺る?」

「来るまで騙されててくれないかな~…と思ったんだけど。」
第一声は確認。そして、第二声は肯定。
「失敗しちった」
肩を回して大きく伸びる。
だが、その様子に悪びれた様子はなく、しかし人を騙して楽しむ様子もなくて、
思わず橘は追撃の一言を入れることを躊躇った。
「そだよ。室町と一緒にいたのは…オレ。」
「奴は?」
「一旦嘘いって動かしただけだから…すぐに戻ってくるよ、多分。
 オレ、元々襲われた振りをして足をとめる程度の役割しか持たないもん。」
「…いやにあっさり話したな。」
「なんか全部バレてるっぽかったし。にゃったら知ってる事話しちゃっても変わりないだろ?」
諦めたような淡々とした口調。しかし、それに嘘から来る違和感は感じない。
恐らく言う通りの理由なんだろう。

*****


「…そうか。」
その後、菊丸が閉ざした長い沈黙を噛み潰すように、橘の口から理解の言葉が漏れた。
「樺地。起きたばかりで悪いが…動けるか?」
問いかけられた樺地が「大丈夫」と言いたげに身体を起こす。が、その動きは鈍い。
「いや、言うまで無理して動かなくていい。ただ、言った時にはすぐ動けるようにしておいてくれ。」
「ウス。」
「さて…どうしたものか。」
辺りをきょろりと見回し、地図と見比べた後、橘は荷物の中身を下ろし始める。
重量を減らすつもりなのだろう。
「…逃げないの?」
「そう慌てるな。もちろん言われなくても逃げるさ。」
そのゆったりとした動きにしびれを切らして問いかけた菊丸を橘はさらりと流す。
樺地の事を考えるなら輪をかけて移動は早めたほうがいいと言う事位わかっていそうなものだが。
「折角助けてもらったんだ。また向こうが来るとわかっててやすやす殺されるつもりはない。」
そう言ってカバンを閉じる。
「だが、急がせてこちらを追い込む可能性を否定出来ないんでな。」
「…。」
その言葉に菊丸は身を引いた。
残っている時間は決して長くない。
しかし、ここでこれ以上無理に急かしても逆に橘にいらぬ思考と危険を与えてしまうだけだろう。
室町と協力関係にあるという自分の立場がバレている以上、 そういう考えにいたるのも仕方ない。
「………。」
仕方なく菊丸は辺りをキョロキョロと見回した。
折角情報を提供したのだ。ここでむざむざ死なせるのは面白くない。
樺地がそれに続く。
「それより菊丸、お前はどうするんだ。」
「え」
…などと考えていたので、予想のしていない返しに菊丸は思わず面食らった。
金田の時と違って殺人犯と知った上で橘は目の前に居る。普通ならこちらの事など気にしなくて良い筈なのに。
「ここで俺達を逃そうとしてるって言う事は、奴を裏切ったって事だろ?」
「! それは」
言われて同盟を思い出す。
橘を逃そうとするこの行為は間違いなく反逆行為。裏切りは=死。
室町の作戦はこちらが乗っていない様に見えることが前提故に狙った人間は確実に仕留めなくてはならない。
オレが、そして橘が室町は敵だと言いふらせば警戒心をもたれてしまって二度と同じ戦法は使えなくなるからだ。
だから気づいた人間は全力で叩く。
「………死ぬ気か?」
室町は頭がいい。
戻ってくるまでの過程で恐らく橘同様、オレの行動の矛盾に気づくだろう。
「覚悟は…できてるよ?」
少しの戸惑いの後に実際に言葉にして、少し震える。
橘のこの状況下でも冷静になれる精神が正直呆れるほど羨ましかった。
「もちろん、できるなら死にたくなんてないけどね。」
怖い気持ちを抑え、更に続きを言って菊丸は笑顔を見せたが、空気に耐えきれずにすぐに顔は真剣なものに戻る。
「例え一瞬でも、夢が見たかったんだ。」

…”それ”は。
『更生して人の為に生きよう』、だなんて選択肢は、金田を殺した時点で存在しなかった。
どう繕ったって、言い訳をしたって『人を騙して殺した』『乗った人間』のレッテルからは逃れられない。
だから、大石との約束を守ろうと必死に足掻く以外に、
自分を信頼してくれた金田と大石の想いに償う方法はなかった。ないと思っていた。
でも。
樺地を庇おうとする橘を見た時、どさくさで迷ってしまった。
たった一点だけ、賭けたくなってしまった。
自分には金田のように道を変える事ができるだけの勇気はない。
だから、せめて、『1つだけ目の前の人間に生き残れる選択肢をあげよう』…と。そう、思ってしまった。
『室町、こっちに逃げた!そっちはトラップだ、危ない!』
だから叫んだ。
自分が大石といた時の、何も知らなかったあの時のままでいられたらどうなっていたのか。
ただ、その夢の先を知りたかった。


―――例えそれで自分が死んだとしても。


「…戻れないのか?」
つぶやきが聞こえて視線を向けた。真剣な瞳で橘が立っていた。
「人を殺したら…過ちを犯したら本当に2度と元には戻れないのか?夢は…見れないのか?」
「…。」
「まだ時間はある…一緒に行かないか?俺達と。」
「…なにそれ。ぜ~んぜん面白くないよ?」
そして、聞こえた言葉を信じられなくて茶化す。
オレもそこまでバカじゃないよ。
いくらお人よしって評判の不動峰のリーダだとしても、そんなのをホイホイ信じられはしない。信じてはいけない。
「もう、決めたんだ。オレは仲間を殺した…戻れるわけないじゃんか。」
自暴気味に吐き捨てる。
大石との約束を守れないと思ったからこそ、自分は自らの意志でカッターを手にとった。
そして、そのまま「裏切り」という刃を振るった。
…今ここで橘に許され、踵を返せば、それは自分の為に死んだ大石・金田への冒涜だ。
殺してでも生きるべきと散っていった彼等のためにも退く訳にはいかない。
「だが、少なくとも今のお前には、俺達を殺すつもりは無いんだろう?」
「………。」
「俺は別に『これからずっと人を殺すな、協力しよう、殺すくらいなら死を選べ』と言いたいわけじゃない。
 何があってお前がプログラムに乗ったのか、室町や…大石と何があったのかも聞かないさ。
 ただ、それだけの覚悟を持っているなら、殺すのを躊躇っているなら。
 ほんの一刻だけでいい。俺に協力して欲しい。そう言っているだけだ。」
「…。」
「俺には目的がある。
 その実現の為には”協力を得られる人間全員の力”が必要だ。それも少しでの多くの、な。
 過去の罪は関係ない。…今、この時。オレに力を貸してくれる人間を求めている。」
「…裏切られたら?」
「その時は…その時だな。」橘は言って苦笑した。
「今もゲームは”進行”しているんだ。精神を病んで交渉出来なくなる人間は当然出るだろうさ。
 だが、お前とは少なくとも”交渉”できる。今の俺にはそれだけで十分だ。」
去年、暴力事件があって出場停止に追い込まれた不動峰。
でもそこから橘の指導で新しく生まれ変わって、全国を誓って…そして、今の不動峰の団結がある。
だからこそ信じるのだろうか。

可能性、信頼、足掻き―――いわゆる、希望を。

「…偽善だよ。」
その眩しさに苦々しく呟く。
「現実は信じようと思ったって、信じられない。やめようと思ってもやめられない…止まらない。
乗りたくなくたって乗らなきゃいけない。殺したくないなんて甘えちゃいけない。
例え橘が信じても他が信じない。裏切る奴だって絶対出る。許されるなんて絶対ない。
―――不動峰の復権が成功したからこそ言える、偽善だよ…それは。」
「…」
「オレは行けない。これ以上殺すかはわからないけれど…橘とは道が違う。
 多分これ以上の協力もしない。そして、道も…変えない。」
今回の事は単なる気の迷い。金田に当てられて一瞬でも人の為に生きようとした人間の愚かな選択ミス。
恐らくもう二度と同じような事はしないだろう。
「そう…かも知れないな。」
それを聞いていた橘は静かに呟いた。
「神尾達<アイツラ>がなければ俺はお前にこんな事を言えるような立場じゃないかも知れん。」
一瞬だけどこか別の場所に思いを馳せて、そして橘はもう一度菊丸と視線を合わせた。

「だが、それでも俺はお前に言うだろう。
 ”やり直せない過ち”や”変えられない未来”などないと。そして…”許されない罪”など、ないと。
 俺達はそうしてきた…昔も、今も、そしてこれからも。」

「そうだ。」
「?」
「お前に渡しとくぜ、不二からの―――いや、正確には桃城からの手紙だ。」
立ち去ろうろする寸前、手渡しされたのはノートの切れ端。
裏には確かに『青春学園 2年 桃城 武』の記述。
「…偽物と思うならそれでもいいさ。ただ、そいつの思いだけは汲んでやれよ。」
一瞬真偽に困ったが、角ばっていて且つ大き目である癖のある字体は、間違いなく桃本人のものだろう。
書かれている内容が知りたくて急いで紙を広げる。
「………。」
ふと湧き出す涙。
そこには桃城の1分間では言い表せなかった自分達への深い思いが赤裸々に書かれてあった。
好きなところ、嫌いなところ、感謝の気持ちと別れの言葉。そして、平和を願う心。
恐らく、榊が動きだした時点で行動を起こそうと決めていたのだろう。
手紙はある地点を堺に急速に殴られた文字に変わり…そして、最後にどこよりも丁寧な文字で
『何があっても『テニス』を恨まないでください。』と書いてあった。
どうしてこうなったんだろう…決意を固めても尚、この感情だけは拭えない。
「…らしいよな。」
そんな菊丸が読む様を横目に見て橘が言う。
「テニスを恨めば全て丸く収まる時もあるってのに、あえて最後にそれを書くあたりが、よ。」
そしてふっと、疲れたように笑う。
「…例え思っててもそうだと言えなくなっちまう。」
「たち」「やっぱり、俺達もあいつ同様テニスバカなのかもな…困ったものだぜ。」
問いかけようとした言葉を遮り、少し小馬鹿にしたような声をあげて橘はバックをむんずと掴んだ。
『その話はそれくらいにしようぜ』と言いたげなあからさまな態度に菊丸は思わず押し黙る。
橘はテニスを憎んでいるのだろうか。
「………。」
そして、そのまま動くなと指示されてその場に座ったままの樺地と目があった。
「樺地はどうなの?」
「自分、は。」
樺地の言葉が止まる。
自分は彼の行動とは何の関わりもないが(室町が単独で動いたのだろう)、恨まれていても文句は言えない。
被害者なのだ。彼は。
「やっぱ嫌?」
「…ウ…」
肯定とも否定とも取れない複雑なイントネーションで返される返答。
実際どちらとも取れない意味なんだろう。跡部じゃないから詳しいことはわからないけれど。
「ありがと。」
そこまでわかって菊丸は再び空を仰いだ。
…彼等は恐らく最後まで自分とは違う道を歩き続けるだろう。
もしかすればこの戦いを終わらせることができる力を持つのかも知れない。
思って、そして菊丸は俯いた。
本来殺す筈だった彼等を見逃したことは自分にとってどのような意味を孕むのか。
それは橘が言うようにやり直すきっかけとなるのだろうか。それとも。

「ごm」

…瞬間。
飛んできたのは音と声、乾いた破裂音。そして衝撃。
兎角、射撃の主と狙いはある程度わかっていたので、菊丸は反射的に橘の背を押していた。
その速さに菊丸の輪郭がぶれる。
「や…っ!??」
途端声にならない音が嘔吐感と一緒に溢れた。
口の中が何とも言えない粘性と苦々しい味に満たされる。
「菊丸っ!」
同時に上がる橘の悲鳴。
思わず押さえた掌に残った赤を見た瞬間、菊丸の思考は一気に現実味を失った。
何回も見た色。金田が吐いていた、死の間際の色。
―――血だ。
自分から吐き出されたそれをそう理解した時、既に目の前の黒髪は自分に向けて追撃の銃口を向けていた。
「やはり…裏切りましたね。」
距離をつめながら忌々しくつぶやかれる一言。決定打。
しかし、菊丸はただその『決別宣言』を他人事のように聞き流した。
正確には室町がいうその”決別”が真に意味することを理解するだけの時間が足りなかった。
「…う~やっぱ、無理みたいだにゃ。」
我ながら情けない声が上がる。
同時に自分のケガのレベルを自覚して菊丸は目を閉じた。
「貴方とは最後までやっていけそうな気がしていたのに…残念です。」
今、室町の注意は自分にある。 下手に動けば注意が樺地や橘に向きかねない。
それに、樺地がまともに動けない今、彼が逃げ切るだけの時間を作るには自分が犠牲になるしかない。
―――死ぬのは怖い。殺されるのはもっと怖い。
ここで動いて不用意に2人を危険に合わせるだけなら、せめて『一瞬の気の迷い』を完成したものにしなくては。

「折角教えたんだから、ちゃんと生き延びなきゃだめだ…ぞ?」
だから、と最期の一言を言おうして…
突如、自分を照らしていたライトが遮られて菊丸は思わず言葉を止めた。
ライトを遮ったのは鈍色の巨体。両手を広げ、大の字で立つそれに橘・菊丸両者の視線が瞬間釘付けになる。
「…ウス」。 彼が自分達に告げた言葉はたったそれだけであったが、
しかし、そこではそれだけで十分だった。

つまりは。そういう。


「…ごめん。」
先に駆け出したのは菊丸。
樺地と入れ替わりに後ろにまわりこみ、得意のアクロバティックとしなやかさで
普通の人間なら歩くのをためらうほど密接した木々の隙間を上手く駆け抜けて行く。
アレならある程度の距離は離せるだろう。橘は思う。
そして、橘は樺地が2度と起き上がれぬノックダウンをしたのと同時にその場から飛び退いた。
そのまま菊丸を背にし、振り返ることなく走り出す。

走りながら菊丸は思う。
『生き延びる為に自分を偽るのと、素直になって死ぬ事と、どちらが幸せなんだろう?』と。
戻れないもうひとつの選択肢。『こっちの方が良かった』など両方体験できない自分には分からないけれど。
「(少なくとも桃は素直になって死ぬ事を望んだんだろうね。)」
ただ、それだけを思う。

もうあの平和な世界にいることは無い。
血まみれの道を歩く事もない。
しかし、最強の盾でもあった同盟を捨てた道は苦痛のものであるのは否定しようが無いだろう。
そもそも残り時間はそう多くない。

うるんだ瞳に金田・大石との約束が頭に浮かんだ。
あぁ…ごめん。
約束は守れそうにないや…
充電がきれちゃ―――

――――――
――――
――







【15番 氷帝学園 樺地死亡
プログラム 1日目 残り人数 28人】





NEXT→

←BACK







バトテニTOPへ